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ブラタモリ「#118 富良野・美瑛」2018年11月17日 NHK
出演 タモリ 林田理沙アナウンサー
今日は美瑛 旭川のちょい南
丘陵っていうんですかね
全部農地ですよ!
美瑛の丘は絶景!
美瑛はアイヌ語で丘の上?
#ブラタモリ OPからいきなりデタラメを言ってリンダアナを騙すタモさん。本当は「美瑛」はアイヌ語で「油(油ぎった)」を意味する「ピィエ」に由来し、美瑛を流れる美瑛川が 水源とする硫黄山の硫黄分により白濁して油ぎっているように見えたことからそう呼ばれるようになったという説が有力だとか。 pic.twitter.com/ueY7xhQvmz
— ひぞっこ (@musicapiccolino) November 17, 2018
富良野、美瑛の合言葉
残り物には福がある
上川総合振興局 旭川建設 管理部
槇納智裕(まきのともひろ)さん
明治時代に北海道に移住した開拓三世
正真正銘の残り物だった
ど真ん中だと開拓に不利だった。
海からいきにくい
入り込むことすらできなかった
船で行きやすい沿岸部が多い
中心まで進めるのに30年かかった
すべて人力だった
残り物だった富良野 美瑛が福をよぶようになった
今日の 林田理沙アナウンサー
林田理沙 #リンダ #林田理沙 #おはよう日本 #ブラタモリ #NHK pic.twitter.com/dyN0VZPQRf
— S.H.A.D.O. (@kaz082) November 17, 2018
ラベンダー富良野
パッチワークの丘美瑛
年間560万人が訪れる
美瑛は大正元年に開拓が始まった
じゃがいもや小麦や他の野菜がすべて育つ
カレーの材料すべてがそろう
美しさを際立てる秘密
道が北に向かってまっすぐ
区切りようがなかったので、高低差ではなく南北で土地をわけた
だからパッチワークのように見える
全部原生林だった
ヒグマに遭遇した10キロくらい逃げた
線路が通ったことで開拓が進んだ
北海道を代表するあの観光地は「残りモノ」と「福」でできていた!? 富良野・美瑛の魅力を徹底解明『ブラタモリ』 https://t.co/o5CbJMUZIN #タモリ #林田理沙 #ブラタモリ pic.twitter.com/HGYY4Aluba
— music.jp (@musicjp_mti) November 16, 2018
JR北海道富良野線 上富良野駅
富良野原野開拓発祥の地の碑が立っている
川が走っているため、米も作れる
十勝岳の噴火 大正15年
土に硫黄が含まれている
臭いの原因は泥流
大量の雪解け水が押し寄せ、土地を飲み込む
開拓地を壊滅状態に
流木で屋根しか見えない状態に
時速60キロ
144名の被害者
硫黄は作物にとって毒
植物がそだたない
東京ドーム100個分の土地に新たな土をかける、トロッコで作業8年かかった
開拓以来30年の歴史があったこと、簡単には諦められなかった。
自分たちで富良野の福を手に入れた
富良野といえばラベンダー
ラベンダーはシソ科の半木本植物。
フランスが原産と言ってましたね。
シソ科なだけあって、水はけさえ気をつければ非常に強い植物ですので、挿し木でも育ちますよ(´∇`)
夏はミツバチがせっせと蜜集めしてますね、ウチの小さなラベンダーはww#ブラタモリ pic.twitter.com/ibZjGDtkOP— エルコン@国語教室 (@hidelcondorpasa) November 17, 2018
年間100万人が訪れる
北の国からの舞台
最盛期は7月
フランスが原産
昭和30年代は作物として道が推奨し販売していた
外来種により、国産は高いと栽培がたち行かなくなった
国鉄のカレンダーにラベンダーの写真が掲示されたら観光客が押し寄せた
秋の彩りの畑
ラベンダー以外にも楽しめる花畑を作っていた
花畑にする前にはお米を作っていた
わざわざ土をもって斜面にした、斜面にすると広く見える
泥流から土を持ってきた
人間はしぶといね、災害があってもなんとか生き延びる
秘境に向かっているような道
青い池と呼ばれる場所
ブラタモリで富良野・美瑛・青い池やってましたね! pic.twitter.com/IHTaU3nyoH
— しろくま (@shirokuma_s) November 17, 2018
pcメーカーが壁紙にしたことで有名になり、観光スポットになった
泥流を止める砂防ダム
30年に一度は十勝岳が噴火
十勝に100もの砂防ダムがある
途切れて池になった
ラストフロンティア
たくさんの福は災害から生き延びるために生まれたものだった
[所感]富良野の美しさの裏には人々のたくましさと想いがつまっていることを知り、感慨深く思いました。
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